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by Minerva_Juppiter

豚饅

2026-06-15

懐かしい話を思い出したので。

小学5年生の頃だったか、家族で神戸ルミナリエを見に行った。
両親が大学生の頃、阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)が起きた。
その追悼の灯りなのだから、私よりも幾らか思い入れが強かったように思う。
私はというと、あまり当時の話は聞かなかったが、その代わりに、おかしなほど何度も読んでいた本にそのことを聞いていた。
小学校の図書館は、広い絵本のコーナーがあって、絨毯が敷いてあった。
高学年ともなると絵本コーナーに群れる人は少なかったが、それでも、私がずっといた、ノンフィクションのコーナーに来るような人はそうそういなかった。
もちろんフィクションも好きだったのだが、それはとても一部で、フィクションの、都合の良いフィルターがかかった世界がいかにも子供向けで、好かないものが多かった。
それでよく読んでいたノンフィクションの本で「どっかんぐらぐら」というのがあった。
阪神・淡路大震災当時の子供たちによる文集で、綺麗な文章から拙い文章まで様々だったが、それぞれの視点で同じ出来事を、或る人は衝撃的に、或る人は淡々と、或る人は読書感想文みたいに優等生な文を書いていた。
私はその本を何週間も連続して、また、連続しなくとも何度も借りて読んだ。
そんなことはどうでも良くて、とにかく私は、ルミナリエを見に行った。

休日だったから、人が多かった。今みたいに予約制が導入される前なので余計に。
なにか別の用があって神戸に来ていたのだが。折角だから見ておこうと言って、すこし覗くような気持ちで向かった。
が、人が多かった。行列が長かった。明かりの疎らな暗いビルの間を大勢の人がのそのそと歩いていた。
周りの大人達は背が高くて、黒くて、怖かった。
父親に肩車をされている小さな子どもを見て、少々羨ましかった。
行列は長く、何度か曲がった先の道端に露店が出ていた。
両親は有名なお店だと言っていたが、そんなことを知る由もない私は、あまり乗り気ではなかった。
というより、それどころではなかった。人の多さ、日が暮れてからの一段と凍てつく風に、慣れていない行列のフラストレーション。
私は不快な心地に泣きそうになりながらも、黙って列にいた。
何度も帰りたいと言おうと思ったのだけど、ここまで待った時間が無駄になってしまったらと思うと、悔しくて、言い出さなかった。
その間に親が露店で豚饅を買ってきた。買ってきたのが父だったか、母だったかはもう憶えていない。
私が空気に耐えかねて「寒い」と言うので、母は私に豚饅を渡してくれた。
それが私には温かくて、美味しかった。
ただ、とにかく美味しかった。
皇帝の皇の字が入った店名で、偉く大層な名前だなと思ったと同時に、その嫌味が吹き飛ぶほど美味しかったのを憶えている。
そこからものの10分くらい歩くと、辺りの雰囲気が変わってきた。
当時、まだガラケーからスマホへの過渡期の終わりかけで、実際に私の両親もガラケーを使っていた。
そんな中、スマホを頭上に掲げて写真を撮る人があった。私はその人のスマホの画面から見えるオレンジ色の光に当たって、ネタバレを食らってしまうような気がした。
今はそんな光景は当たり前で、何も思わなくなったが、そういう使い方があるのかと、半ば感心したものだった。
後は早かった。私の身長でも電飾が見えるように近づいてきた。
私はとっておきの最後の一口を食べながら、その光を見た。
泣いた。どちらで泣いたのかは定かではない。ただ、とても美しかった。
涙で滲んでいて、綺麗に見えているわけではないのだけど、それでも、そんなことがどうでも良いくらいに美しかった。
追悼の灯りがこんなにも美しいものだとは知らなかった。
日は暮れきってさむしい冬の夜に、数百mも歩いてビルの影になってしまえば見えないのに、ここはこんなにも光に満ちている。
両親には悪いことをしたと思う。前々からぐずっていた私が、ついに泣き始めたのだ。声をあげないにしても。全く、意味が違うことを説明するような余裕はなかった。

とても長々と書いたが、そういうわけで、皇蘭の豚饅は私にとって思い出深い味になった。
思い出してこれを書いている今でさえ、涙が溢れてくる。私の中のとても大事な光景の一つだ。
最近は年々規模が縮小していて、来場者数も減少しているらしい。私は今は、近畿圏に住んでいないので、気軽に行くことは難しいが、また行って見ておきたいものだなと思う。